昭和51年08月17日 朝の御理解
御理解 第79節
「商売をするなら買場売場というて、元を仕込む処と売り先とを大事にせよ、人が口銭を十銭掛けるものなら八銭かけよ、目先は弐銭損の様でも安うすれば数が売れるからやはりその方が得じゃ体はチビルものでないから、働くがよい。」
是は例えば信心は抜きにしましてもこの教祖の御教え七十九節のいう所が敢然としてこういう商売が出来るというのは、只普通でいうあちらの店は良心的だと言う程度のものじゃないですね。難しいと言えば大変に難しいし、けれども本当の商売人ならば是をやってのけるですね。だから本当の商売人ならやってのけるから、本当の繁昌が約束される筈です。それはもう信心を抜きにしてもそうです。只商売が繁盛するだけならね。
金光様の信心はただ商売が繁盛する、おかげで繁昌するときにはもう一切が繁昌に成っていく事であり、おかげになって行く事である。いうならば人間も出来、身代も出来健康の上にもお繰り合わせを頂くのです。本当の商売人ならば、もうこれは絶対やってのけれるです。中途はんぱの、ただ利益だけをまあ追求する商売人というかね、ならば良心的な商売は出来てもこんな敢然とした生き方は出来ませんですけど、本当の商売人にはできるです。昔福岡に松屋と言うデパートがありましたよね。
こちらなんかはもう、私自身商売人ですから、商売人の鑑のようにあの人の生き方に、尊敬の念を払っておりましたが、もうこれなら絶対繁昌するです商売は。けど繁昌するだけではいかんでしょうが、家に病がでたり人間が出来なかったりすれば、矢張りあれで松屋さんが潰れたかどうか知らんが止めなければならん結果になってしもうておるから、繁昌だけではいかんと言う事がわかるでしょうが。
これは本当の商売人ならおう絶対そうやるです。良い品物を何処よりも安いという、それを敢然としてやるけれどもです是はもう大変難しい事です。まあ良心的にやる商売まあそれでも店の信用が付きますけどです、店の信用が付くとか店が繁昌するだけでは、もう人間の幸せはありませんからね。是は何処までも信心で取り込む、信心で頂けばです店も繁昌させて頂ける、人間も出来てくるおかげで健康のおかげも頂けてくる。
いわゆる家庭に不和の無いというか、皆が健康であるとか、然もそれが子孫繁昌、家繁昌に繋がるようなおかげを頂く為にはね、お道の信心をさせて頂いておるものはね、ここんところが出来ると言う事は、教祖様がああ仰せであるから、それを実行するという。だから商売が繁盛するだけでなくて教祖様の御教えを実行するから健康のおかげも頂ければ家庭円満のおかげも頂ける。
本当の商売人本当の信者、本当の信者は本当のおかげが絶対頂けるです。本当の商売人はですね、絶対おかげ、儲かるごとなっとるです。それなら十銭のものを十一銭で売るとか十二銭で売って儲かるのでなくて人が十銭で売るものを八銭で売って、儲かって行くから不思議です。これは本当の商売人の生き方です。けど只本当の商売人というだけではね、人間が出来ていなかったり、それこそ思わぬ不時の災難に遭ったり、商売は儲かっていきよるけど、なら人間の幸と言う事には繋がらない。
そこでなら信心させて頂く者がです教祖様がこう教えて下さるからと言うて、教えを実行する、行ずる事となると素晴らしい家業の行になるのです。敢然とそれを敢行する、やってのけるだけの私は信心の度胸だけでなくてこれは信心の喜びに、いうなら燃えて来なければ普通では出来ん事だと思いますね。これは私商売をやってきて、信心させて頂いて商売をやってきて、実際私共全然実行出来てなかったです。なるほど商売がつまらなくなって来るはずです。
いつも人より儲かって居るようにあったけど、なら様々な思いも掛けない、世の中が移り変わっていく事に依って、例えば私の場合は途中で商売が出来なくなったり、思わぬ損害を受けたり、だから信心をしておって、自分で一かどの商売人と思っておったが、只こすい商売人であったと云うだけで、本当の商売人でなかったから、儲け出す事ができなかったんです。わたしはそう思います。
ですから私に今商売を許されるならば、私はそれがやってのけられるだろうとおもいます。本当の商売人じゃないけれども、信心で教祖様がそう仰るのだから例え損なようであっても、教祖様がそう仰せられるからやってのける。そこにはいわゆる家業の業が見事にやってのけられるから、商売は繁昌する。人間は出来て来る子孫繁昌、家繁昌間違いなしと言う様なおかげに繋がって来る。お徳が受けられるです。
商売しながらお徳が受けられる、そこで例えば話を聞いたくらいでやろうとしてやれるものじゃないです。目先は弐銭損な様でも出来はしませんです。ほんとうに信心の歓びで受けて行かねば出来ることではない。今ここに座らせて頂いたら、手紙が何通も来ている中に、宮崎の最近ここの話題になっている網さんから暑中見舞いのはがきがきている。私はこれは自分で書いとんなさるとじゃろうかと思うたら、印刷してあるのです。こういう事が書いてある。
暑中御見舞い申し上げます。頂けば頂くほどのおかげの泉、湧きいずる胸にこみ上げ、涙こぼれる。と書いてあります。これは合楽教会だけに出すとじゃないですよ。お得意さんであろうが、親戚であろうが自分の知っている限りに出してあるに違いないです。これが敢然と言えれると言うことです。素晴らしいですね。やっぱりおかげを頂く人は違いますよ。信心しとる事を内緒にしとる人も在るくらいです。この様にしていうならば合楽示現活動に参画して行かれるわけです。
そして今私御理解を頂くとこの七十九節です。今皆さんに聞いて頂いた様な事が心に浮かんだのです。これは信心に依って元気な心、いうなら有り難い勿体ないにならなければね、神様のこの御教えは実行出来ないと言う事です。信心しよるけん私の店は良心的だ、私の仕事は良心的だと言えますけど、目先は弐銭損の様な事は絶対出来んです。教祖様が仰るけんそんなら損してもかまわん、此の腹が信心によって出来た時です、それは本当の商売人と同じ様なことになるわけです。
そして本当の商売人になるだけじゃありません。教祖様の教えられた事を実行する事ですから、そのまま家業の行にならん筈はないです。家業の行になるからそのままが力にも徳にもなる事が解りますですね。私は今日は此の七十九節を改めて、この網さんのこの勇気ある行動とでも申しましょうか、是はもう有難い本当に有難さに涙こぼれるものがあるから、これを敢然と印刷屋に頼んで皆に出されたんだろうと思うです。
信心を正面に出してそのいえれると言う事は来る人ごとに有り難さを語っておられる事が分りますね。銀行に金を借りに行くときに御神意書を支店長に見せられた気持ちがわかります。本当のものなら本当のおかげが付き添う。例えば百姓なら百姓でも、本当の百姓だったら所謂篤農と言われる人は畑に草を生やさないと言われますが、生えたけん取るというのは中位、いつ行っても草茫々と言うのは、是は愈々百姓の風上に置けんというわけではありませんけど、まあずるい百姓と言う事になりましょう。
だからそれでは子供達が百姓のごたる、もうつまらん仕事はなかというて他の方へ転業していくでしょう。けどもね百姓を自分の生命としてですまあいうなら篤農の部類にはいったら、必ず野菜は見事にできるでしょう。必ず何処よりもお米でも麦でも何処よりも余計にとれるでしょう。これはもう本当の百姓になったらもう絶対です。けど本当の百姓になっただけでは病気やら、災難やら人間が出来ることとはちがうようです。そうでしょうが篤農だけ、只素晴らしい商売人というだけとはちがうです。
本当の素晴らしい商売人になればおかげはおかげではない。儲けは絶対ある。本当の百姓になりゃもう、何処よりも野菜は余計出来る、穀物は余計取れるに間違いない。けれども人間の幸福に繋がるかというとではないと言う事です。信心させて頂いてこうする事が本当だ。いや教祖様はこう教えておられるから、それを実行するだけだ。儲けるとか儲けんと言う事は別だ。教祖様がそう教えられるから、そうするんだという行き方になっての、商売であり百姓であるならばです。
勿論百姓であるならば何処よりも収穫が多いでしょう。商売人であるならば何処よりも利益が多くなってくるでしょう。然もそれには健康家庭の円満人間が出来人間と身代と健康とかそろうてです、愈々家繁昌子孫繁昌の元と言われる力も徳も受けられると言う事になるのです。だから折角信心させて頂くならです、教祖の神様の教えて下さる事を本気で敢行できる、やってのけれる所まで、信心を高めていかなければいけない。
所が中々難しい。私が何十年間の信心をしながら商売をさせて頂いて、神様のおかげおかげと言うておるけれども、おかげでない証拠には残っとらんと言う事です。いかに教祖様の御教えを行じてなかったか、只自分の才知才覚で商売してきただけだったと言う事です。然も本当の商売人のように思うとったけれども本当の商売は出来ていなかったと言う事です。本当の商売人じゃなかったと言う事です。
本当の商売人ならば、私は今は福岡の松屋さんね、例をとりましたかです絶対何処よりも良いものを安く売られたです。そう言う意味で買い物をするなら松屋でという様に人の信用は獲得出来たから益々繁昌したけれども時代の波には勝てん、災難には勝てんと言うことになりましょうが。だから良い商売人になる良い百姓になる、とかというのではなくて結局良い信者、真の信者にならなければならない。
まことの信者になりゃ誠の百姓にも、誠の商売人にもなる事も出来ると言う事がいえます。網さんの此の暑中見舞いの是を見せて頂いて、此の気持ちを失われん限りこの有り難き、勿体なきがお客様の上にも通うて行く事でしょう。元にも増して商売繁盛のおかげを頂かれる事でしょう。そこには必ず人間と身代と健康と言った様なものが足ろうてくるでしょう。商売が繁昌するだけではいけない、商売の繁盛がそのまま行である。それがそのまま力になる様な、ひとつおかげを頂きたいですね。
どうぞ。